『故平賀氏の功績を後世に・・・・・・!』
故平賀錬吉氏は、大阪YMCA海外協会主催のアマゾン開発青年団の副団長として団員47名と共に、
1931年モンテ・アレグレ植民地に入植。タバコ・綿・麻などの栽培に従事した。
南拓は1935年同植民地を閉鎖したが、副団長であった平賀氏は同植民地に残った。
1939年コンデ・コマ(前田光世)の要請を受け、農業技師としてトメアスー植民地に赴任した。
爾来、アマゾン日本人移民発祥の地トメアスー植民地で、農業は勿論、精神面でも植民地の指導者として、
清貧をに甘んじながら植民地の指導者や青少年らの育成に貢献した。
氏の薫陶は今もなおトメアスー移住地の指導者たちに受け継がれている。
こうした平賀氏の活躍を後世に残そうと、新宿の伝説的なバーの元ママで根室市出身の
写真家佐々木美智子さん=東京・伊豆大島在住が、約30年前、存命中のご夫妻の写真を撮影していた。
昨年開かれたアマゾン日本人移民80周年祭に慶祝使節団の一員として来べされた折、
件の写真をCAMTA職員OB会に提供してくれた。提供を受けた職員OB会は、その遺影を拡大し、
トメアスー文化協会とトメアスー産業組合に、この度寄贈した。
トメアスー組合の職員OB会は、氏の功績を編纂・記録して後世に残したいと企画しているが、
故平賀氏についての文献が少ないため、氏に関する情報提供を呼びかけている。